佐藤春夫研究会

和歌山県新宮市出身で日本の近代文学に大きな足跡を残した佐藤春夫のすべてを紹介するサイトです。大正時代に新進作家としてデビュー以来、小説、詩、評論、随筆とその活躍は多彩で、故郷をこよなく愛したことから望郷詩人とも呼ばれています。

和歌山県新宮市出身で日本の近代文学に大きな足跡を残した佐藤春夫のすべてを紹介します。大正時代に新進作家としてデビュー以来、小説、詩、評論、随筆とその活躍は多彩で、故郷をこよなく愛したことから望郷詩人とも呼ばれています。
佐藤春夫略年譜 佐藤春夫記念館 佐藤春夫の著作
佐藤春夫の略年譜を紹介しています。 新宮市立佐藤春夫記念館の詳細を紹介しています。 佐藤春夫の詩、小説、評論など著作のすべてを紹介しています。

ギャラリー

佐藤春夫記念館

DSC06653佐藤春夫記念館は、佐藤春夫が東京の関口町に初めて自宅を建て終生そこを住まいとしたが、没後、その建物を移築復元、春夫のふるさと、新宮市内速玉大社境内に平成元年にオープンした。

記念館に入り、細い廊下を進むと左手に応接間がある。中国風のロビーという感じで、マントルピースの前に畳三畳を敷いた洋間である。

門弟柴田連三郎は、春夫の一周忌に「先生の座られる場所は暖炉を左に見る窓際であった。先生はそこで大きな耳をこすりライターを鳴らし乍ら話をされた。そこには、いつも春風が吹いていた」と春夫を懐かしんだ。

二階に上がると、親友の堀口大学が語っている八角塔の書斎がある。
 「そのころ、佐藤君、狭い書斎が好きでしてね。あの家の二階に塔みたいな部分があるのですよ。 そこに二畳の部屋をこさえまして、ずいぶん長い間、そこを書斎にしておりました。枕の上とか、狭いところで仕事をするのが好きで、大きな書斎なんか、かまえたことないんじゃないですか」と語った。

その狭い書斎には、陶芸家「河合寛次郎」による「一状書屋」の額が飾られている。先日も、瀬戸内寂聴先生が春夫記念館の事務室に入られ「あーなつかしい」と言われた。そのわけは、いま事務室に使用している場所は、新宮に移築する前には食堂兼台所として使われていて寂聴女子もよく入った場所だと言っておられました。

その言葉を聞き、佐藤春夫「門弟三千人」なるほどなー! と あらためてその言葉を思い出しました。

 ギャラリーはこちら⇒Gallery~佐藤春夫記念館

佐藤春夫~懸泉堂

那智勝浦町下里にある 佐藤春夫の実家「懸泉堂」について紹介します。 春夫の実家「懸泉堂」とは、那智勝浦町下里八尺鏡野(やたがの)にあり、佐藤家が代々営んできた医家と寺子屋の屋号で、裏山に滝があったことからその名がつけられたとされています。

現在の建物は、新宮で「熊野病院」を開業していた豊太郎が、大正11年に佐藤家の家督を相続した後に建てられ、そのモダンな外観から西村伊作が設計に関わったのではないかと言われています。

懸泉堂には豊太郎のほかにも、豊太郎の娘で春夫の姉であった保子、その娘智恵子と彼女の夫であった詩人三好達治も住んだ時期があり(三好達治の子供さんが新宮高校に通い卒業したと聞いています)、谷崎潤一郎や壇一雄も娘ふみと訪れた写真等も残っており、日本を代表する文人墨客たちがしばし腰を下ろした場所でもあります。

現在、県立文書館、県立博物館、和歌山大学、那智勝浦町教育委員会、佐藤春夫記念会などが中心となって、懸泉堂に残る資料の全体像の把握や文化遺産としての価値等を調査中です。

ギャラリーはこちら⇒Gallery~懸泉堂
最新コメント