DSC06653佐藤春夫記念館は、佐藤春夫が東京の関口町に初めて自宅を建て終生そこを住まいとしたが、没後、その建物を移築復元、春夫のふるさと、新宮市内速玉大社境内に平成元年にオープンした。

記念館に入り、細い廊下を進むと左手に応接間がある。中国風のロビーという感じで、マントルピースの前に畳三畳を敷いた洋間である。

門弟柴田連三郎は、春夫の一周忌に「先生の座られる場所は暖炉を左に見る窓際であった。先生はそこで大きな耳をこすりライターを鳴らし乍ら話をされた。そこには、いつも春風が吹いていた」と春夫を懐かしんだ。

二階に上がると、親友の堀口大学が語っている八角塔の書斎がある。
 「そのころ、佐藤君、狭い書斎が好きでしてね。あの家の二階に塔みたいな部分があるのですよ。 そこに二畳の部屋をこさえまして、ずいぶん長い間、そこを書斎にしておりました。枕の上とか、狭いところで仕事をするのが好きで、大きな書斎なんか、かまえたことないんじゃないですか」と語った。

その狭い書斎には、陶芸家「河合寛次郎」による「一状書屋」の額が飾られている。先日も、瀬戸内寂聴先生が春夫記念館の事務室に入られ「あーなつかしい」と言われた。そのわけは、いま事務室に使用している場所は、新宮に移築する前には食堂兼台所として使われていて寂聴女子もよく入った場所だと言っておられました。

その言葉を聞き、佐藤春夫「門弟三千人」なるほどなー! と あらためてその言葉を思い出しました。

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