佐藤春夫研究会

和歌山県新宮市出身で日本の近代文学に大きな足跡を残した佐藤春夫のすべてを紹介するサイトです。大正時代に新進作家としてデビュー以来、小説、詩、評論、随筆とその活躍は多彩で、故郷をこよなく愛したことから望郷詩人とも呼ばれています。

和歌山県新宮市出身で日本の近代文学に大きな足跡を残した佐藤春夫のすべてを紹介します。大正時代に新進作家としてデビュー以来、小説、詩、評論、随筆とその活躍は多彩で、故郷をこよなく愛したことから望郷詩人とも呼ばれています。
佐藤春夫略年譜 佐藤春夫記念館 佐藤春夫の著作
生い立ちから文壇デビュー、さらに芥川賞選考委員就任、文化勲章受章などの生涯を紹介。 世界遺産・熊野三山のひとつ速玉大社内にある新宮市立佐藤春夫記念館の詳細を紹介。 小説、詩、評論、随筆とその活躍は多彩で、望郷詩人とも呼ばれた春夫の著作を紹介。

国立台湾文学館で佐藤春夫がテーマに

DSC041056月4日~5日、国立台湾文学館に於いて、台日「文学興歌謡」国際学術研討会(文学と歌謡国際シンポジュウム)が開催され、その国際シンポジュウムに佐藤春夫記念会が共催に名を連ねることになりました。

今、台湾では佐藤春夫の作品への関心が高く、今回のシンポでは佐藤文学が大きなテーマとなっています。期間中、3本の公演が予定されていますが、最終日の5日に佐藤春夫記念館長・辻本雄一氏が、『熊野・新宮の「大逆事件」が問いかけるものー佐藤春夫から中上健次へ』をテーマに講演することになっています。

会期中は、佐藤文学がテーマの分科会も多く予定されています。また、評論人として台湾文学研究者で今回のシンポジュウム開催に大きな役割を果たした、新宮高校20回卒業、天理大学教授・下村作次郎氏を交えた討論会も予定されています。

国立台湾文学館の公式Webサイトでは、シンポジュウムのプラグラムも公開されています。
 (http://www.tjlps-tw.org/Paper.html

佐藤春夫は1920年夏、当時日本領だった台湾で歯科医をしていた新宮出身の友人に誘われて台湾を訪れ、現地社会の実情や植民地同化政策の矛盾などに関心を持ち、原住民の抗日事件を題材にした「霧社」や、先住民への理解、植民地支配に感じた矛盾等、台湾の印象を率直に記した「植民地の旅」等を書いています。

春夫と台湾をめぐっては、春夫の没後50年を記念して昨年1月に新宮市で国際シンポジュウム「『佐藤春夫と憧憬の地 中国・台湾』展に寄せて」が開催されたほか、今回、会場となる国立台湾文学館では春夫のコーナーが設けられ るなど、両国で春夫の再評価が進んでいます。

春夫の台湾物に興味のある方には、「女誡扇綺譚 (1948年)」など推薦します。他にも「魔鳥」などを書いています。 小渕伸二

佐藤春夫生育の家跡

DSC06791佐藤春夫生育の家跡(新宮市新宮7690、丹鶴城公園への登り口)【地図】

佐藤春夫は、明治25年(1892年)和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に生まれました。春夫が幼少年期から新宮中学校卒業まで住んだのがここです。

春夫の父がここで「熊野病院」を開業していました。 医師である父・豊太郎が文芸にも造詣が深くまた、当時木材業で栄えた新宮には大石誠之助、西村伊作、沖野岩三郎ら先進的な文化人が活発に活動していました。そうした環境の中で春夫は文学少年として成長していきました。

佐藤春夫生誕の地

DSC06642佐藤春夫生誕の地(新宮市船町3丁目1-12)【地図】

この場所に昭和47年に生誕碑が建立されましたが、現在は礎石だけが残っています。碑には、父親の春夫誕生を祝う俳句「よく笑へ どちら向いても 春の山」が刻まれていました。

佐藤春夫は、明治25年(1892年)和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に生まれました。医師である父・豊太郎が文芸にも造詣が深くまた、当時木材業で栄えた新宮には大石誠之助、西村伊作、沖野岩三郎ら先進的な文化人が活発に活動していました。そうした環境の中で春夫は文学少年として成長していきました。

筆塚

筆塚筆塚(下本町2丁目1-1 市民会館前広場)【地図】

新宮市民会館前にある筆塚は、1964年(昭和39年)5月6日佐藤春夫が亡くなったあと、モンブランの万年筆やその他愛用の品々を収めて建てられたもので、「筆塚」の題字は、慶應義塾大学に学んだとき以来の無二の親友、詩人の堀口大学が書いたものです。

春夫の遺稿として残されたものは、「現代日本を歌ふ」と題された詩で、「その美化と純化とは忘れられ/国語をだに満足に語り得ざるは/げに奇怪無比の文化国なるかな」と結ばれています。日本語さえまともに話せない国がどうして文化国家などといえるのか、という厳しい問いかけです。

時は、東京オリンピックの開幕が数か月後に迫り沸きかえっていたときでした。東京オリンピック開会式で歌われた讃歌は、春夫の作詞によるものです。

(出典:「熊野・新宮発 ふるさとの文化を彩った人たち」)

佐藤春夫略年譜

佐藤春夫略年譜
1892(明治25)和歌山県新宮市船町に生まれる
1897(明治30)新宮市登坂(熊野病院)に移転
1904(明治37) 和歌山県立新宮中学校に入学
1909(明治42) 与謝野寛が来熊。その影響を受け、終生、師とあおぐことになる
1910(明治43)和歌山県立新宮中学校を卒業、慶応義塾大学に入学(のち中退)
1915(大正4)第2回二科展に入選する。以後、翌年、翌々年にも入選
1918(大正7) 谷崎潤一郎の推薦により文壇にデビュー。
(その後『田園の憂鬱』など続々と作品を発表、流行作家の地位を築く)
1921(大正10)『秋刀魚の歌』を発表。処女詩集『殉情詩集』を刊行
1927(昭和2)東京の関口町(現文京区関口)に、新築中の住居が完成する
1929(昭和4)訳詩集『車塵集』を刊行
1930(昭和5) 谷崎潤一郎前夫人・千代と結婚
1932(昭和7) 長男・方哉誕生
1935(昭和10)芥川賞の選考委員になる
1936(昭和11) 文化学院の文学部長になる
1948(昭和23) 芸術院会員となる
1951(昭和26)新宮市歌を作詞
1953(昭和28) 第4回読売文学賞(詩歌賞)を受賞
1955(昭和30)第6回読売文学賞(小説賞)を受賞
1957(昭和32)新宮を舞台に『わんぱく時代』を発表
1959(昭和34)勝浦駅前に『秋刀魚の歌』、速玉大社境内に『望郷五月歌』の詩碑を建立
1960(昭和35)第20回文化勲章を受賞、新宮市の初代名誉市民となる
1964(昭和39)自邸において録音中に急逝する(72才)
1966(昭和41)新宮市民会館前に筆塚建立
1989(平成1) 東京の春夫邸を新宮市に移築し、佐藤春夫記念館オープン
1990(平成2) 佐藤春夫記念館、芦屋市・谷崎潤一郎記念館と姉妹館提携を結ぶ

佐藤春夫記念館

DSC06653佐藤春夫記念館は、佐藤春夫が東京の関口町に初めて自宅を建て終生そこを住まいとしたが、没後、その建物を移築復元、春夫のふるさと、新宮市内速玉大社境内に平成元年にオープンした。

記念館に入り、細い廊下を進むと左手に応接間がある。中国風のロビーという感じで、マントルピースの前に畳三畳を敷いた洋間である。

門弟柴田連三郎は、春夫の一周忌に「先生の座られる場所は暖炉を左に見る窓際であった。先生はそこで大きな耳をこすりライターを鳴らし乍ら話をされた。そこには、いつも春風が吹いていた」と春夫を懐かしんだ。

二階に上がると、親友の堀口大学が語っている八角塔の書斎がある。
 「そのころ、佐藤君、狭い書斎が好きでしてね。あの家の二階に塔みたいな部分があるのですよ。 そこに二畳の部屋をこさえまして、ずいぶん長い間、そこを書斎にしておりました。枕の上とか、狭いところで仕事をするのが好きで、大きな書斎なんか、かまえたことないんじゃないですか」と語った。

その狭い書斎には、陶芸家「河合寛次郎」による「一状書屋」の額が飾られている。先日も、瀬戸内寂聴先生が春夫記念館の事務室に入られ「あーなつかしい」と言われた。そのわけは、いま事務室に使用している場所は、新宮に移築する前には食堂兼台所として使われていて寂聴女子もよく入った場所だと言っておられました。

その言葉を聞き、佐藤春夫「門弟三千人」なるほどなー! と あらためてその言葉を思い出しました。

 ギャラリーはこちら⇒Gallery~佐藤春夫記念館

佐藤春夫~懸泉堂

那智勝浦町下里にある 佐藤春夫の実家「懸泉堂」について紹介します。 春夫の実家「懸泉堂」とは、那智勝浦町下里八尺鏡野(やたがの)にあり、佐藤家が代々営んできた医家と寺子屋の屋号で、裏山に滝があったことからその名がつけられたとされています。

現在の建物は、新宮で「熊野病院」を開業していた豊太郎が、大正11年に佐藤家の家督を相続した後に建てられ、そのモダンな外観から西村伊作が設計に関わったのではないかと言われています。

懸泉堂には豊太郎のほかにも、豊太郎の娘で春夫の姉であった保子、その娘智恵子と彼女の夫であった詩人三好達治も住んだ時期があり(三好達治の子供さんが新宮高校に通い卒業したと聞いています)、谷崎潤一郎や壇一雄も娘ふみと訪れた写真等も残っており、日本を代表する文人墨客たちがしばし腰を下ろした場所でもあります。

現在、県立文書館、県立博物館、和歌山大学、那智勝浦町教育委員会、佐藤春夫記念会などが中心となって、懸泉堂に残る資料の全体像の把握や文化遺産としての価値等を調査中です。

ギャラリーはこちら⇒Gallery~懸泉堂

佐藤春夫の著作

bungaku-rekishi-sanpo-120x90佐藤春夫の著作は多様多彩で、詩歌(創作・翻訳)、小説、紀行文、戯曲、評伝、自伝、研究、随筆、評論、童話、民話取材のもの、外国児童文学翻訳・翻案などあらゆるジャンルにわたっています。
昭和39年 5月 6日、自宅でラジオ録音中、心筋梗塞のため72歳で死去しました。

佐藤春夫の著作一覧表
殉情詩集 南方紀行 都会の憂鬱 詩文集「我が一九二二年」
侘しすぎる 李太白 女誡扇綺譚 訳書「ピノキオ」
佐藤春夫詩集 蝗の大旅行 退屈読本 話随筆集 白雲去来
厭世家の誕生日 支那童話集 神々の戯れ 訳詩集「車塵集」
更生記 心驕れる女 詩集「魔女」 維納の殺人容疑者
みよ子 ぽるとがる文 閑談半日 玉笛譜―支那詩選
絵本FOU 熊野路 泰淮画舫納涼記 詩集「佐久の草笛」
戦線詩集 山田長政 自然の童話 短編集「びいだあ・まいやあ」
奉公詩集 詩の本 詩集「東天紅」 詩劇「八雲起出雲阿国」
掬水譚 抒情新集 近代神仙譚 近代日本文学の展望
わが小説作法 文芸一夕 小説智恵子抄 小説高村光太郎像
観潮楼附近 晶子曼陀羅 わんぱく時代 みだれ髪を読む
わが龍之介像 愛の世界 極楽から来た 詩文集「まゆみ抄」
美の世界 詩文半世紀 小説永井荷風伝 佐藤春夫文芸論集

お供茶式

DSC06786今日は、佐藤春夫命日の5月6日、お供茶式が熊野速玉大社双鶴殿で開催されました。

佐藤春夫は、ご存知のように大正時代新進作家としてデビューし、小説・詩・評論・随筆とその活躍は多彩で、日本の近代文学に大きな足跡を残しました。ふるさとをこよなく愛し、望郷詩人とも呼ばれています。

お供茶式は、例年、佐藤春夫記念館前庭で行われていましたが、52回を数える今回は雨のため場所を速玉大社で実施されました。

佐藤春夫記念会代表理事「舩上光次」の挨拶、 辻本雄一・佐藤春夫記念館館長挨拶、濱中規子さんの「望郷五月歌」、茶道裏千家淡交会南紀支部の呈茶で閉式しました。

この日は、記念館が無料会館となっています。

ギャラリーはこちら⇒Gallery~お供茶式
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